2020年8月15日土曜日

影が光を濃くするってヤツ:ヒロアカ【25巻 感想】(ネタバレ注意)

前半、死柄木くんの重い過去がじっくり描かれて、かなり重めですが、雄英生たちの楽しく明るい学園生活も後半にあるので、暗い話が好きな人も明るいのが好きな人も、ウッキウキな25巻です。
作中でリ・デストロが、死柄木くんに光を感じているのは、この明暗を表しているようにも感じます。

私が今回の中で好きなのは、一見、彼を悪人としながら、その悪人としての側面を顕にした要因が、社会や環境にもあるというように描かれているところです。

236話「志村転弧:オリジン2」では、能力の発現と暴走、それに伴う家族の死が描かれます。
ここで、父親の殺害する場面で彼が悪であるように描かれますが、その次の237話「死柄木弔:オリジン」冒頭では、混乱したまま、街をただ彷徨ってします。
つまり、彼が壊すことを楽しむ人間だったとしても、それは彼の側面のひとつに過ぎず、“彼=悪人”ではないということだと思います。
それなのに、街の人々は手を差し出せず、オールフォーワンに出会ってしまったことで、“悪人”としての側面が増大してしまいます。
また、『手を差し出す』という行為ですが、誰でも良かったわけではないと思います。
現に、暴走したときに母親が手を伸ばしていますが、能力に耐えきれず、崩れてしまいました。
彼を助けたい気持ちだけでなく、肉体的な強さも必要だった、
つまり、ヒーローの助けが必要だったということで、このことがヒーローに対する嫌悪感に繋がっているように感じます。
ただ、このお母さんが転弧を見て、手を差し伸べる場面は、彼女の母としての愛と強さが、凄く表れていて、私は凄く好きです。
それでも、彼を救えなかったということや、その後の街の人々の反応は、ヒーローに頼るだけでなく、普通の人々自身ももっと強くないといけないということも暗示しているように思えます。

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