2018年7月18日水曜日

母と娘、つまり「女性」の話【無限の玄/風下の朱】<感想&考察>

第159回芥川賞候補作品で、「無限の玄/風下の朱」の感想と考察です。
「無限の玄」の感想はもう先に書いているので、今回は「風下の朱」の感想がメインです。
集大成的な古谷田奈月の父子【無限の玄】<感想(ややネタバレ注意)>
 
野球をしたい女の子達の話です。
ドロドロした場面もありますが、穏やかなラストで、読後すっきりした余韻があります。
「無限の玄」と「風下の朱」という2つのタイトルを見たとき、どちらにも色が入っているのことに、とても興味をそそられました。
はじめ、「無限の玄」は過去三作の後という意味を込めて、四季の4番目、冬の色を表す「玄<クロ>」をタイトルに入れられたのかな...?
...と思ったのですけど、そうすると「風下の朱」の「朱」とは...と不思議に思っていました。
「朱」は夏の色なのに、なぜ冬の色が先なのだろう...と。
しかし、「赤」は「女性」や「恋愛」を連想させる色でもあります。
そして、「無限の玄」の「黒」は「男性」や「死」を連想させます。
つまり、「無限の玄」が「死」を扱った「父子」の話だったのと対照的に、「風下の朱」は「愛」を扱った「女」の話だったのです。
今まで、古谷田さんの作品は何かしら「父子」の関係が描かれることが多かったのですが、「無限の玄」にて「父子」については一区切り...という意味もあるのかもしれません。
というのも、「風下の朱」では「父」ではなく、「母」の存在に重きを置かれているように感じるからです。
実際の「母娘」の関係は台詞として語られるくらいなのですが、それ以外にも「母娘」の独特の関係性を感じる雰囲気が漂っています。
それは、「女性」という同性だからこそ、育まれてしまう世界です。

また、「愛」や「恋」について、ハッキリ明示されてはいないのですが、テーマになっていると思います。
実は私、前々作「リリース」で描かれていた「恋愛」について、少しモヤモヤが残っていました。
ロロの言動の根っこの部分に共感出来なかったのです。
でも、この作品を読んで、何だかあのときのモヤモヤが取れた気がします。
ここで、描かれていたのは、おそらく「愛」や「恋」の前や裏、内側などにあたる部分だったのではないかと思います。
「目に見えない」ものだから、単純に説明できない部分で、言葉にしてしまうと、上手く伝わらない部分だと思うのです。
上手くまとめられないのですが、ただ私が感じたのは、「恋」もそこに至るまでの道程も、険しく一筋縄では行かないもので、そこを切り抜けるには、「愛」が必要不可欠ということです。
生半可な「理解」や「忍耐」では、ダメなのです。

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