2018年1月14日日曜日

「一人語り」こその母娘<感想&考察(ネタバレ控えめ)>

湊かなえ作品はいくつも実写化されている有名な作家さんの一人だからこそ、叙述トリックに騙されないつもりで読み始めたのに、この一人語りに翻弄されました...。しかも、今回も人の心を濾した闇のようなドロドロに暗い話でした。「不快」な話なのに、この読後の満足感...。
 
語り手の嫉妬で溢れんばかりの内面を描きつつも、バッサリとしたラスト。描かれていない部分へも想像を拡げさせる余地を与えてくれる論理的な展開。これが湊かなえ作品の魅力だと思います。
そして、これらによって、作品が読み手の鏡となっているように感じます。
もう湊かなえさんの実力にさすがとしか、言えないです。
 
タイトル通り、ほとんど母娘の話で、主に娘視点が多いです。
他人ではないとはいえ、それぞれの考えがあり、でも同じ空間で生活する母娘。その間で、生まれるいろんな想いが「一人語り」で描かれるわけですが、「母娘」という関係の特異性を感じました。
上下のある個人同士の関係ながらも、一緒に暮らす親密さも持つ、学校や会社など社会で築くのとは違う関係です。「ベストフレンド」という話は、母娘の関係があまり描かれていない話なのですが、これが収録されていることで余計に「家族」の特異性が際立っています。
また、家族が特殊な集団になっているのは、成長期の多くの時間を過ごす空間だからだと考えます。
本のタイトルになっている2つの話、「ポイズンドーター」と「ホーリーマザー」では娘視点と第三者視点の母娘が描かれます。「ポイズンドーター」だけでは、見えなかったタイトルの意味が「ホーリーマザー」では分かるわけですが、私はこの「毒娘」を嫌悪する気にはなれませんでした。
成長期は、未発達で多感で、人格形成に重要な時期だといいます。それならば、その時期の関係はもっと気を配るべきではないでしょうか。同じ世代の友人同士ならともかく、親や先生といった立場なら、配慮できる筈ですし、他と比べて、良い悪いという問題ではないと思いました。
家族は社会とは別のある意味閉鎖的な集団で、親も初めて育児に取り組むからこそ、いろんな問題が起きるのでしょう。そういうことを含んでの、この結末なのだと感じました。

また、この本の「私」たち、特に1話目「マイディアレスト」では、孤独によって高まった反社会性・暴力性の問題を感じました。

先日読んだ宮内悠介さんの「彼女がエスパーだったころ」に載っている「ムイシュキンの延髄」でもそういった話があったので、この本でもその部分が気にかかりました。
宮内さんの作品では、「孤独が暴力性を高める」ということから、ある行動をとる人物が出てきます。そちらはロボトミー手術などの話で、語り手は事件当事者ではなく、記者の目線になるので、大分雰囲気は違います。ただ個人と集団の話という点は、同じなので、興味のある人はこちらも是非!これの感想はコッチに書いてます→

湊かなえ作品は、一人語り形式だからこそ、個人と社会の間の歪みが際立つのだと思います。また、誰もがどこかに抱えてる悩みでもあるから、「不快」になることなく、こういった問題を考えさせられて、反省させられます。

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